「嫌、そんなの絶対に嫌ぁ!! 嫌だ、よぉ……っぅ……わたしだけ逃げるなんて、そんなの……そんなの嫌だよぉ!!」

 滲む視界には燃え盛り狂乱する炎、炎、炎。
 半壊した城の上空を覆うのは、禍々しい黒い雲。いや、敵国の竜と異形の者達の群れ、群れ、群れ。

 「わたしもここに残るよ! 私も、戦う!! っっ、こんな、の、こんなっ、の…………フェイトちゃんを置いて行くなんて……そんなの、できないよぉ………」

 ボロボロと零れて頬を伝い流れていく涙が、火の粉に輝く金色を濡らす。
 しがみ付き、縋り付くその騎士の甲冑は、異形の者達の灰色の体液と、敵国の兵士の血と、その人自身の血とで黒く汚れていた。

 「姫……」



 耳を打つ、優しい声。
 どんな時でも変わらない、静かで優しい……大好きな声。



 全てを飲み込もうとする炎の光を浴びる金色の髪は艶やかに熱風に舞う。
 総てを消し去ろうとする焔(ほむら)の光を反射する紅い瞳は、紅蓮の如き輝きを放つ。
 敵の攻撃に傷付いた肌は、まるでそれが騎士の勲章、己の誇りとでも言うかのように、彼女の気高い魂を飾る為のものとして在った。

 「我侭を仰らないで下さい。貴女は、この国に残された最後の切り札。唯一の希望です」



 柔らかくて優しい笑み。大好きな顔。
 でも、こんな時に見せないで。

 こんなの嫌だよ。
 お願いだから、そんな顔しないで。



 熱風を蹴散らすように、傍へと黒い竜が降り立つ。
 逞しい体に、鋼のような鱗。鋭い剣のような眼光に、力強い大きな翼。剣のように鋭利に光る瞳は、主の髪の色に似た透き通った金色。
 竜は低い声で唸り、主にもう時間が無い事を静かに伝える。

 「うん。分かってるよ、バルディッシュ……」

 王直属の竜騎士部隊の長(おさ)であり皇女専属の護衛騎士である少女は、幾重もの戦を共に潜り抜けてきた愛竜に微笑みかけた。

 穏やかに。
 静かに。
 優しく。



 あぁ、お願いだから……お願いだから、そんな顔をしないで。
 私を置いて逝ってしまうような、そんな顔……しないで。



 もう一匹の竜が降り立つ。皇女の傍へと静かに傅(かしず)くように。
 大空を自由に羽ばたく鳥のような翼は純白。しなやかな四肢で地に立ち、赤い宝石のように輝く、慈愛に満ちた瞳で皇女を見つめた。

 「レイジングハート。姫を……」

 美しい騎士は最後までは言わず、同じように慈愛に満ちた眼差しを白い竜に向ける。
 レイジングハートは躊躇うように一瞬の間を開けて、しかしゆっくりと頷いた。頷いた瞬間、堪えていたのであろう雫が目尻から滴り落ちて渇いた地面を濡らした。
 騎士の傍で沈黙を守る黒竜は、白竜の涙を舌先で掬い頬を寄せ合い低く唸った。

 「姫、もう帝国の兵士たちが迫って来ています。早くレイジングハートの背に……」

 騎士は、縋り付いてくる姫をそっと離す。
 炎も、敵も……時間も、もう直ぐそこまで迫ってきていた。

 「嫌ぁ! 嫌、だよぉ!! フェイトちゃんも、一緒じゃなきゃ、嫌ぁ……」
 「……姫」

 騎士の顔がくしゃりと歪む。
 破願した時のような、泣く寸前のような、そんな顔に。
 そうして、皇女の華奢な手を優しく握り、その指に嵌められた指環を見て目を瞑った。
 その指環は琥珀を削ってあしらった物。透明な琥珀の中には柔らかな白い花が閉じ込められていた。

 「大丈夫だよ。後からちゃんと追い付くから……。私が駆けっこで誰にも負けた事がないって、なのはが一番よく知ってるでしょ?」



 大丈夫だよ。

 大丈夫だから。



 繰り返し繰り返し、姫に囁く。
 繰り返し繰り返し、自分に呟く。
 繰り返し繰り返し、その花に紡ぐ。



 「私は大丈夫だよ。だから……」

 白い竜の赤い瞳と、騎士の紅い瞳の視線が合わさる。
 レイジングハートは主である皇女を無理矢理背に乗せ、強く羽ばたいた。

 「あぁっ!? 嫌ぁっ!! 嫌、レイジングハート!! 嫌ぁ! 戻って! 戻ってよレイジングハートぉ!!!」

 皇女の口からは悲鳴が溢れるばかり。
 その声が空から降ってくる。騎士はそれを浴びながら、でも笑顔を見せた。

 「嫌だぁ……こんなの、こんなの……! お願い、お願いだから……レイジング、ハート……うっ、ぅうっ……戻ってよぉ……いやぁ……フェイトちゃん……フェイトちゃぁん!!」



 遠ざかる愛しい人。

 小さくなってしまう優しい影。

 見えなくなる笑顔。



 「なのは、泣かないで……。私は、大丈夫だよ。きっと……きっとなのはの許へ戻るよ……」

 主の悲痛な叫びを聞きながら、白き竜の瞳からも雫が滴り落ちる。
 赤い瞳が一度だけ振り返る。黒き鋼の鱗を火に輝かせて、剣のような鋭い金色の瞳を持ったの竜は飛び去っていく白い竜を優しい眼差しで見ていた。

 飛び去っていく白き竜に群がろうする異形の敵達。
 しかし皇女を乗せた竜は、真っ白い光で紡がれた魔法陣に優しく包まれ消えた。
 それと同時に、炎に呑まれる城と黒い空を巨大な結界が覆った。

 金色の髪が熱風に靡く。虚空を真紅の瞳が見つめる。
 銀色の牙を覗かせ獰猛に唸る。黒い鱗に覆われた肢体が輝く。鋭利な金の瞳が虚空を睨む。




 逃げ場など、ない。

 否、必要ない。




 「バルディッシュ」

 強い声で静かに戦友(あいぼう)を呼ぶ。
 騎士は黒い竜の背に乗り、銀色の剣を抜いて握り締めた。


 「どんな事があったって、護るって誓ったんだ」


 騎士として。
 彼女を愛する者として。
 己の存在全てを賭けて。


 「なのはの元へは、絶対に行かせない!!」


 黒い竜が翼を広げ、鬨(とき)の声を上げる。










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